SPECIAL CONTENTS - 特集 -

Think Green

自然反射
私達は季節ごとに、創造と敬意を持って、持続可能な関係の中で人と自然とをもう少し強く結びつけようとしています。

私たちAIGLEでは、より自然でシック、そしてモダンなコレクションを提案いたします。私たちは「緑」を思い描いてみました。
AIGLEにとって≪think green (緑を考えること)≫とは製品を考えるのと同じ反射的行動なのです。
それは表向きな良識ということ以上に、私たちが地球に与える影響の軽減、汚染抑制、廃棄物削減に向けて毎年展開していくライトモチーフ(主題旋律)であり、真のモットーなのです。
こうして今シーズンの≪think green≫とは具体的に、オーガニックコットン素材を採用したシャツやTシャツ、毎年リサイクルされるポリエステル繊維を採用したジャケット製品などを生産。
製品紹介ツールの用紙まで配慮しており、すなわちこういった活動は継続的に環境問題に対処していくことを意味するのです。
こうしてAIGLEは地球とその住人に敬意を払いながら衣服を考え出し、製造しています。

人は自然と調和して生きるべきである、これがAIGLEの≪think green≫の必要性であり基本理念なのです。

AIGLEは1853年フランスで生まれました。“自然”を愛する人のために。

パリから列車で2時間ほど、フランスのほぼ中央にあたるロワール地方。今から150年ほど前、実業家ヒラム・ ハッチンソンがこの地方のモンタルジにラバー工場を設立しました。地元の優れた職人たちを集めて工場で生産されたのは、ファーマーや田舎で暮らす人々の日常生活に役立つ、防水性と耐久性に優れた天然ゴム素材のブーツ。上質の天然ゴムだけが持つ、柔らかく返りの良い履心地や機能性は、長時間履き続けても疲れないブーツとして信頼を集め、絶大な支持を得ていきました。AIGLEの1世紀半に及ぶ歴史はここからスタートしたのです。

機能性は勿論、スタイルの美しさも大切にしています。

その他の フットギアやバッグ、そして多種多様なウエアへ。ワーキングからスポーツまで、幅広いアウトドアフィールドへと踏み出した歴史の中でも、AIGLEが変わることなく追求してきたのは、実用的かつ機能的でありながら、スタイルの美しさを大切にする美意識へのこだわりです。

ハンドメイドで丁寧に作られるラバーブーツ→

パリ・サンジェルマン店

ロングセラーの乗馬ブーツ

創設後、150年後の今でも、世界的に最も有名なラバーブーツは、フランスにおける伝統的な製法でハンドメイドされています。AIGLE社は常に、当初からの変わらぬ目的:人々を戸外で保護すること、という目標を満たすために「最適」な製品を提案することに尽力し続けています。機能性はもちろん、スタイルの美しさも大切にしています。

その他のフットギアやバッグ、そして多種多様なウェアへ。ワーキングからスポーツまで、幅広いアウトドアフィールドへと踏み出した歴史の中でも、AIGLEが変わることなく追求してきたのは、実用的かつ機能的でありながら、スタイルの美しさを大切にする美意識に対してのこだわりがあるからです。

1850

アメリカのとある場所。

ヒラム・ハッチンソンとチャールズ・グッドイヤーはビジネスを語っていた。

チャールズとヒラムはアメリカインディアン語で'涙を流す樹木'すなわちゴムの木に興味を持っていた。チャールズはバルカナイズ製法-ゴムを強化し、防水にする-を生み出した。ヒラムは靴・ブーツ・防御服を生産するためにチャールズより、その特許を買った。チャールズはタイヤとアメリカを選び、そしてヒラムはブーツとフランスを選んだ。

1853

鷲は舞い降りた。

屋外で過ごす人々にとっては、生活上、雨から守るモノが必要であり、その最適な素材がゴムであった。フランスの人口の約90%が地方に住んでいる事もあって、フランスは有望な市場であると、ヒラムは確信していた。彼はフランスに渡ってから、モンタルジにさっそくゴム工場を設立し、防水靴・ブーツや衣料を大量生産する体制に入った。そして、ヒラムはその工場にアメリカの国鳥である「鷲」への敬意を表して"A L'Aigle"の商標を登録した。

1857

鷲は飛翔する。

モンタルジ工場では日産14000足の靴、他にテント、グランドシートを生産し、ヨーロッパやオーストラリアへも販売していた。その後、ドイツのマンハイムにも工場を設立し、すっかり心はヨーロッパ人になったヒラムは靴製造に関して、各方面からその偉業を称えられた。

1911

ポンカーレ vs ミレラン。弁護士&大統領同士の対決。

フランス共和国の二人の歴代大統領が、法廷で対決した。
レイモンド・ポンカーレ (元大統領、1913-1920) ‥ エーグルの弁護士
アレクサンドル・ミレラン(元大統領、1920-1924) ‥ オーコックの弁護士
エーグルはオーコック(鶏のマークのブランド)が、エーグルのロゴを模倣したとして訴訟し、その結果、勝訴した。これを機にエーグルの名前が広く世間に知られるようになる。

1920

躍動の1920年代。エーグルがパリジャンを魅了する。

この繁忙の10年間、フランスはクルマ社会へと加速し、女性のスカートは短くなった。それにともなって、足元が目立つようになる。同時エーグルは工業化し、ベルトやカーマットも製造。(この工業部門はその後、ハッチンソンと名乗っている。)
また、この頃からアパレル部門にも注力し、レインコートやリバーシブルのギャバジン、コーティング加工の淡いピンクの下着類、コルセット素材、また、言うまでもなく洒落たブーツ等を生産。もちろんこれらはゴム製である。
たちまち、流行に敏感なパリの女性達に絶大な支持を得ていった。

工員「小平」は、工場では革命を起こさなかったが、後世に、大きな友情を育んだ。

学生であった「小平」はヨーロッパ諸国を旅していた。モンタルジで、数人の中国人と生活を共にし、エーグル工場で働いていた。その後、彼は偉大な指導者として、中国を1979-1999年の期間を統治することになる。中国の指導者としてフランスへ訪問した際もモンタルジに赴き、昔の友人と会った。逆にフランス大統領が中国へ訪問の際は、彼はモンタルジの時の旧友を中国へ招待した。フランス外務省も、この中国での旧友の再会に大いに協力したのであった。エーグル工場での出会いが両国に大きな友情が芽生えさせたのである。

1950

スポーツ分野への進出。

ハンター、フィッシャーマン、ファーマーのほとんどの人々に愛されているエーグルは、都市に住む人たちにもレインコートやラバー/キャンバスシューズの商品開発により、名声を得てきた。エーグルはさらにそのカテゴリーを拡大し、レジャースポーツや学生の市場に進出した。ゴム底のバスケットシューズ、テニスシューズ、また品質に裏付けられたスニーカーは校庭や著名なスポーツグラウンドを席捲した。この当時、約1850名の工員を抱え、日産30000足を生産するようにまで事業は成長していった。

1967-68

ヨーロッパで最も近代的な靴工場を元米軍基地跡地に建設。

モンタルジの小さな工場に別れを告げ、シャテルロー近郊のエグランデに工場を移転。元米軍基地(30,0000?、東京ドームの6倍)に、ヨーロッパで最も近代的な靴生産工場を建設した。倉庫は約200万足の靴・ブーツを保管、一日あたり75000足を出荷。年間で1000万足の生産能力を誇る工場である。

1972

マルク・パジョーとともに、海へ。

2本の白線のラインの入った青色のブーツ‥。ミュンヘン五輪に参加した、セーリング競技者のブーツは「マルク・パジョー」によってデザインされた。
エーグルは、また一歩、新しいフィールドへ踏み出した。

1973

ライディング(乗馬)への進出と世界的ブランドへ成長。

スポーツでは小さなカテゴリーである、乗馬の世界での革命。
エーグルは「エクイヤー」を開発した。革の様相を呈する屈曲性のあるブーツ。このブーツは'スラッシュ'と呼ばれる合成ゴムでできており、このブーツ生産のために素材生成からの一貫生産ラインを設立。今では「エクイヤー」は、世界中で最も販売された乗馬ブーツとなった。

1978

テニスコートでのエーグル。

200万足以上のテニスシューズを販売した実績を残す。そのうちの30万足は当時、世界4大トーナメントであるフレンチオープンで、チャンピオンであった「ジョフレ」の名前をつけたモデルであった。

1980

自然志向への移行。

フランスではジョギングやエアロビクスが流行るようになり、ゴム素材のスポーツシューズが極小分子フォームやエアー、その他に最新のショックアブソーバーを備えたシューズにとって代わられ、一時期はエーグルも苦戦を強いられたが、まもなく軌道にもどることができた。
1989年に就任した会長兼最高経営責任者であるイヴ・ムーリエ氏は、ナイキやアディダスとの競合を避け、エーグルをその核となる市場、すなわち海とカントリーへのポジショニングを行った。
またアウトドア活動の際の保護という観点からのアパレル衣料品と靴の開発に尽力。並行して専門店はコーナー展開でのチャネル政策を推進した。この政策は巧妙かつ斬新なものであった。
1988 : 初のハイキングシューズラインの開発。
1989 : 初のカントリーウェアラインの市場への導入。 パリ・サンジェルマン通りに最初の旗艦店をオープン。
1991-92 : マリンやハイキングウェアラインの市場導入。 百貨店でのコーナー展開の販売政策。

1992

サンディエゴでのアメリカズカップに参戦。

フランス代表のマルク・パジョーと彼のチームはエーグルを着用した。エーグルブランドはこれによって広く世界中に知れ渡り、とりわけ、エーグルが行った全面的な技術試験が、その後、マリン分野において、より技術に主眼を置いた新商品開発に大きく寄与することとなった。

1993

エーグルが「日、出る国」に舞い降りた。

アメリカ文化に魅了された日本の若者は、アウトドアをファッショントレンドとして捉えた。しかし、日本とアメリカでの文化構造は必ずしも同一ではなく、エーグルは日本市場にスムーズに対応し、ウェアのライセンスを発展させ、"フランステイストのアウトドア"は成功を収めた。
1993.10 : 日本で最初のショップが東京・渋谷に67坪の規模でオープン。
1994. 4 : 横浜・元町に134坪の規模で2号店をオープン。

1994

鷲は巣立ち、株式市場への上場を果たす。

この年、エーグルはパリ証券取引所の2部上場を果たした。

1995-2000

大いなる羽ばたき、成長期へ。

95年にストラスブルグにFC1号店をオープンしてから、2000年までにヨーロッパ圏で46店舗、アジア圏で44店舗を展開。97年には5億フラン(約100億円)の売上を計上した。
トラベルウェアラインの導入。サファリジャケットやレポータータイプのウエストコートは即座に人気アイテムとなった。1996年には「COPELAND」というセーラージャケットを発表。この1853と表記されたジャケットは数10万枚の発売を記録する大ヒットに。また、同年には「パルクール」-二重密閉底と最も履き心地の良いカットのゴムブーツが発表され、ヨーロッパの人々にとってはまさに待望のゴム靴であると評された。

2001

ハイテク、エーグル。

セーリング・ハイキング・スキーといったアクティブスポーツ分野でのライン「アクティマム」を発表。流れるような洗練されたデザインとテクノロジーの融合を商品企画に投影した。

2003

Happy 150th Birthday, AIGLE!

エーグルは150周年を迎えました
過去の150周年記念サイトはこちらから
(現在お取り扱いのない製品も掲載されています)

当サイトに掲載されている商品のうち、シューズについてはフランスエーグル社 より輸入したものであり、その他の商品についてはヤマトインターナショナル(株)がフランスエーグル社とのライセンス契約に基づいて企画・生産したものです。

  • agnès b.×AIGLE
  • BLUE BLUE×AIGLE
  • AIGLE×キツツキと雨
  • AIGLEブーツガイド
  • Field Diary
  • AIGLEについて
  • ムービー&壁紙ダウンロード
  • ARCHIVES
  • SAVOIR FAIRE SAVOIR VIVRE
  • AIGLE×CW-X
  • AIGLE×LIBERTY OF LONDON
  • Editors Choice
  • Love trek with YURI YOSUMI
  • AIGLEとニコラ・ヴァニエ
  • フィールドレポート

PAGE TOP