23.11.17

北海道から社会に伝える、畜産の未来

長沼真太郎

1986年北海道生まれ。大学卒業後、商社に就職。その後、2011 年に父の経営する「きのとや」に入社し、大ヒット商品「焼きたてチーズタルト」を開発。2013年、株式会社BAKEを創業。その後急成長を遂げたBAKEを2017年に退社。スタンフォード大学客員研究員を経て、2020年にユートピアアグリカルチャー社の代表取締役として再始動。2022年北海道コンフェクトグループ株式会社の代表取締役に就任。

北海道を拠点に、地球環境、動物、人に負荷をかけず、持続的に美味しいお菓子をつくるため、放牧酪農や平飼い養鶏に挑戦している「ユートピアアグリカルチャー」。その新たな実験場として2022年10月にスタートしたのが「盤渓農場」だ。

札幌の市街地から西へ車で30分ほど移動した場所にあり、そのほとんどが山林に覆われた場所で山地酪農の実験「FOREST REGENERATIVE PROJECT」が開始されている。

森に囲まれた「盤渓農場」

ユートピアアグリカルチャー代表の長沼真太郎さんは、「ベイクチーズタルト」をはじめ、数々の人気スイーツブランドを世に送り出してきたことでよく知られている。長沼さんは、どのような想いで畜産が抱えている問題解決に取り組んでいるのだろうか? どのような方法で最高品質のお菓子を届けようとしているのだろうか? 盤渓農場で話を聞いた。

聞きながら育った「三原則」

長沼さんは、北海道札幌市出身。地元の洋菓子店「きのとや」の息子として生まれる。大学進学で上京し、卒業後は商社に就職。菓子食品課に配属され、海外のお菓子メーカーから輸入した商品の日本での販売や日本のお菓子メーカーの海外進出などを担当した。

商社を退職後は、上海での事業立ち上げ、家業を経て、スイーツメーカー「BAKE」を創業するに至る。

「家業には“おいしさの三原則”があり、それをずっと聞きながら育ってきました。それは『フレッシュな状態で届ける』、『手間を惜しまない』、『原材料にこだわる』というものです。この3つを突き詰めればお菓子は絶対に美味しくなる。全ての根本になっています」

盤渓農場の鶏は放し飼いに近い環境で育つ。通常の平飼いよりも空間を広くし、面積あたりの羽数を少なくしている

鶏が食べている飼料の約20%はお菓子の製造工程で出る端材(クッキー屑、いちごのヘタやスポンジ屑など)。これも影響して、鶏が産む卵の味にコクがより出たそう

そして、三原則を突き詰めて行くなかで、原材料について考えていたことが、現在のユートピアアグリカルチャーの活動につながっている。

「昔から『原材料にこだわる』ために、牧場を運営したいと言っていました。もしどちらの原材料がいいか悩んだら、高くてもよい良いほうを使うというところまでは徹底できていましたが、自分たちが買うことができるものは他社も買えるんです。それに放牧の牛乳を使いたいと思っても、日本の流通システムだと一般的な牛乳と放牧牛乳を混ぜ合わせてしまうんです。なので、やはり牧場がやりたい。それに自分たちの農場であれば、牛の品種を変えたり、エサを変えたり、いろんな実験をすることもできますし、自分たちの原材料への深い理解にもなります。さらにそれをお客様に伝えることで、僕たちのお菓子に対する本気度が伝わる。ですが、そこを突き詰めるまでにはなかなか至ることができませんでした」

農場内に設置されている卵の自動販売機。販売機はオリジナルで製作

美味しさと環境保護を両立させる農法

数々の人気スイーツを生み出したのちにBAKEの経営を離れ、その後約1年間を長沼さんはアメリカ過ごしていた。アメリカで感じたのは、牛に対するイメージが悪いということ。これはアメリカだけではないが、今や牛は地球温暖化を深刻化させている一因として捉えられている。牛はゲップなどでメタンガスを排出しているためだ。こうした影響があり、アメリカでは代替肉や培養肉などの研究や商品開発が急速に進んでいる。

日高町にある牧場で、牛を放牧をしている様子。盤渓農場でも今後予定されている

しかし、本当に牛が悪いのだろうか? 畜産業界の仕組みに改善するべき点があるのではないか? そこで出会ったのが、リジェネレイティブアグリカルチャー(環境再生型農業)。これは畑や牧場などの環境を再生させながら、農業や畜産業を営む方法だ。美味しさを追求しながら、環境にポジティブな影響を与えられる可能性を感じた長沼さんは帰国後ユートピアアグリカルチャーに参画する。

「日常的に食べるものは代替の乳製品でもいいと思います。でも、嗜好品としてのお菓子が一番使われるのは、大切な人へのプレゼントや大切な日を祝うためなんです。だとすれば本物のお菓子が必要ですし、培養したものやフェイクの材料ではつくれません。本物を突き詰めて、22世紀までつながる持続可能なやり方を模索することが、我々お菓子屋の責務じゃないかと思いました」

盤渓農場では森の地面を覆う笹を食べてもらうため、牛より笹を食べる馬(道産子)5頭が先に森に入った。3ヶ月間えさは与えなかったが、体重は増えていたそう

馬が笹を食べた後の様子。これで日差しが地面に届き、植物が活性化する

現在ユートピアアグリカルチャーでは、北海道大学と共同で、土壌が貯留する炭素量に関する研究を進めている。土壌の炭素量をはじめ、緑の量、土壌の水分量、植物の多様性、微生物の種類など、数値を取りながら、毎年どう変わっていったかをウォッチしていく。

「環境再生型農業という言葉自体は難しいですが、土壌が良くなること、つまり土壌の炭素量が増えることと理解しています。例えば、牛が牧場の草を踏んだり食べたりすることが、植物に刺激を与え、それが成長を促すことになります。成長するための光合成の過程で、炭素を吸収するんです。

また、日高牧場で2年間数値計測した結果、1ha(約10,000㎡)あたりおよそ年間で11tの炭素を貯留していました。一方、牛は1頭あたり10tのメタンガスを年間で排出しています。日高牧場の敷地面積は32haなので、およそ35頭が排出するメタンガスをオフセット(相殺)できている可能性があります」

放牧牛乳と平飼い卵を使い、つくりたてのフレッシュさにこだわった「CHEESE WONDER(チーズワンダー)」

放牧牛乳や放牧牛乳の飲むヨーグルト、平飼いの卵と放牧にまつわる情報を届ける体験型サブスクリプションパッケージ「GRAZE GATHERING(グレイズギャザリング)」

そして、この効果は土壌が変わる過程では、もっと多くの炭素を貯留できる可能性があることを知り、盤渓の手付かずの森に目をつけた。

「放置された森は、実はたいして炭素吸収をしていないそうなんです。でも、そこに動物が入って、活動することで、森に刺激が加わると、つまり土地が変わる過程で、炭素吸収量が何倍にもなる可能性がある。そして、そういった実験をしているところは日本ではほぼないということで、すでに日高に牧場はあったのですが、盤渓の森でもやる意味があるのではないかと思いました」

「いつも作業で履いている長靴とは履き心地が全然違いました」(長沼さん)

こうした研究を進めるにあたり、山や農場で作業をすることもある長沼さんは、AIGLEの印象をこう話す。

「ブーツは本当に履きやすいですね。足に吸い付く感じというかすごくフィットすします。養鶏場では白の長靴じゃないといけないのですが、山や農場に行く時は使い続けたいと思っています」

本物を知ることは豊かで幸せな時間

美味しいお菓子を突き詰めていくために、本物を追い求めていく長沼さん。今後、どのようなことを実現しようとしているのだろうか?

「これはずっと変わっていないのですが、家業である『きのとや』や北海道のお菓子に囲まれて育ち、その後一度北海道を離れて本州や海外でも勉強してきて、思ったことは『北海道のお菓子ほど手に届きやすい価格で美味しいものはない』ということです。でも北海道のお菓子はほぼお土産なので、基本的には北海道以外では売らない。それがとにかくもったいないと思っていて、ストーリーの見せ方や付加価値、手間の掛け方をもっと進化させて、より多くの人に届けていきたいです」

そして、最後に付け加える。

「子どもと一緒に鶏の世話をした時に、生まれたての卵を触って『卵ってあったかいんだね!』って言ったんです。それを聞いてハッとして、本物を知ることは豊かで幸せな時間なんだなと。これまでの工業化された畜産やフードテックなど新しい流れがあるなかで、全て我々がやっているようなものになる必要はないと思っています。ただ、本物を楽しむ豊かさのための一つの選択肢として、未来に残していきたいです」

photography | Naoto Date
text | Shotaro Kojima

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