1800年代から今も変わらずフランスを拠点に、農家のための長靴を生産し続けている「AIGLE」が”SOIL=TOI”(土とあなた)という理念のもと、国内の“土”と共に生きる様々なスタイルをもった農家の方々を紹介します。大地と共に生きる、地球人として自然と共生する、そんな大きなテーマを考えるときのヒントやきっかけがそこにはあります。
岡山駅から車で1時間ほど“日本のエーゲ海”と呼ばれる?牛窓町は、瀬戸内海に面した港町。 バブル期にはリゾート地としてそこそこ賑わったんだろうな、、そんなノスタルジーを残した海沿いの町に、ずっと訪れてみたかった畑「ORGANIC FARM風の谷」はある。
待ち合わせた海沿いの駐車場から、軽トラックで先導され、さらに草木が生い茂るぐねぐねと曲がりくねった、細い細い農道を抜けた先にその畑はあった。ふっと視界が開け、瀬戸内海の鏡面のような海が一望できる小高い丘に現れたのは、デザインされ、管理が行き届いた公園のような美しい畑。この瀬戸内海にせり出した丘の上でオーガニック農家として9年目を迎える“平川敬介”さんは、かつては原宿の老舗古着店「go-getter」に勤務し、ファッションデザイナーとして活躍していた経歴がある。今回は、そういった部分も含めて、農家という生き方に何を見出したのか、今どこを見据えて農家を営んでいるのか、話を聞いた。
絵葉書になりそうな、本当に美しい景色の場所に畑があるんですね。
まさに瀬戸内海からの穏やかな海風が流れ込む“風の谷“というか。
平川「当然、最初からこんなに広くて、視界が開けたきれいな畑を借りたってことではなくて、この場所を紹介された時に自分の理想とする畑が想像できたっていうか、今のこの畑の完成形というか、畑から海へ視界が抜けるようなランドスケープのイメージはできてたよ。ここも、もちろん最初はもう草木が鬱蒼と生い茂ってたし、視界も全然開けてなくて、開拓って感じの作業から始まった感じで、少しづつ面積を増やしていったって感じ。畑なんて誰に見せるわけでもないけど、瀬戸内海を見下ろしながら、毎日畑仕事するっていいなっては思ってた。あの目の前の海に浮かんでいるのが前島で、その向こうに見えるのが小豆島だね。
この畑のある丘は、農地にするために開拓された半島みたいになっていて民家がない場所。来る途中に荒れちゃってる場所がたくさんあったと思うけど、1980年代ぐらいはこの辺り一帯全部畑だったらしい。だけど高齢化でみんな手放していって、この丘みたいに、陸から離れた一番手入れしにくい畑から手放していったから、ここら辺は特に自然がワイルドだよね。(笑)」
どういった経緯で農家になろうと思ったんですか?
平川「自分がブランドをやり始めて数年経った時かな、ちょうどリサイクルショップがたくさんでき始めて、古着屋の友達がそこで仕入れができるから行かない?って言われてついてったんだよね。それこそアメリカに買い付けに行ってスリフト回るみたいに埼玉の方にたくさんリサイクルショップがあって、価値があるものがたくさん安く売られてる。十数件とか回ると、これ普通に仕入れできちゃうじゃんって思うぐらい買い付けできちゃうわけ。でも、もうさ、いわゆる古着っていうよりも、どっかのブランドの新品の不良在庫みたいなのがドーンと並んでるんだよね。自分もブランドやってる身だったから、工場でおじいちゃんやおばあちゃんが留学生を雇って一所懸命作ってて、大変な思いで生産しているって背景も知ってるから、なんだかなぁと思うところがあって。ブランドをやってる人は売らなきゃ食っていけない、工場さんも縫わなきゃ食って行けない。みんなその「服を作んなきゃいけない」「売らなきゃいけない」みたいに作った服が、結果リサイクルショップに着られずにいっぱい並んでるのを見ると、これおかしいよなぁって思い始めちゃたんだよね。
そういった疑問を持ち始めたことや、3.11の地震もあって、2012、13年ごろから、中目黒で自分の洋服屋をやりながら東京にある大平農園さんで農業の研修をやらせてもらうようになって。最初は、手伝いに行ってただけなんだけど、そのうちに楽しくなってきて、徐々に自分も農家やろうかなって思い始めて、あるタイミングで農業の方に気持ちをシフトした感じ。その頃は、午前中は農家に研修に行って、午後はお店開けるみたいな生活だったね。」
牛窓にはゆかりはあったんですか?
平川「僕は茨城で生まれて、東京で生活してたから、縁もゆかりもなかったんだけど、東京で知り合った友人の奥さんが岡山出身で、牛窓でカフェやってて。その縁でこっちに2回ぐらい遊びに来たんだけど、その時に牛窓で有機農業をやってる人をたまたま紹介してもらって、農地とか色々回ってくれたりしていくうちに“人と人との縁”ができて、じゃあここでいいかなって。(笑)」
どのような野菜を育てているんですか?
平川「日本の一般家庭の食卓に普通に並ぶベーシックな季節の野菜だね。自分は“連作”っていって常に同じ場所で同じ作物を育てていて、種の自家採取をしてる。「種取り」、「連作」、「無肥料」の3つがセット。こだわりの土を試行錯誤して作るというよりも、同じ場所で種を取り続けることで、植物が環境に適応してきてどんどん良くなってくる感じを大切にしてる。埼玉県の農家さんに勉強させてもらった時に、そこの農家さんがこのやり方をやっていて、自分が独立したらこのやり方でやろうと決めてた。大平農園さんでも種取りはいくつかの品種はやってたから、そこは抵抗なくこのやり方で農業が始められた。」
あの元気な茄子も肥料入れてないんですか?
平川「そうだよ。もちろんうまくいくのもいかないのもあるし、今年はいいけど次の年はダメみたいなのもある。要因は色々考えられるんだけど、自然で起きてることだから理由は一つじゃなくて複合的なことだと思うんだよね。
例えば、茄子しか生えない状況を作って種を取って作り続けていくと、まず野菜の味が濃くなるね。一回春菊でやったことがあって、いつも春菊をやってる畑の傍の今まで草が生えてたところを畑にして春菊を育ててみたんだけど、味が全然違う。普通、春菊って青リンゴみたいな香りがするんだけど、傍で作ったものはその香りが無いの。植物の根って自分の好きな菌だったり栄養を集める能力があって、だからその植物をその場所で作り続けるとそれら集まりやすくなる。不思議なんだけど、野菜を何も植えていない時は、土壌検査をしてもめちゃくちゃ栄養が無いんだけど、野菜の根が伸びてる状態だと栄養がある。多様性を持たせるって考えじゃなくて、特殊な関係を作るってことだよね。ここだと、茄子とこの場所(畑)との特別な関係を作る。手間はかかるけど、収量もしっかり採れるからこのやり方で良かったって思ってる。」
だから畑の畝間も草を全く生やしていないんですね。すごい。。
以前されていた仕事とは、環境もお仕事の内容もとても変化があったと思います。今の仕事を選んで良かったと思う瞬間ってどんな時ですか?
平川「野菜ができて、買ってくれて食べてくれる、そして美味しかったって言われる。それがすごく嬉しい。もちろん自分がデザインした洋服を“かっこいいっすね”って買ってくれるのも嬉しかったけど、野菜の方がもっと嬉しいかな。(笑)
感情のことだから言葉にするのが難しいけど。服とかそういうのは、買う側って何かしらのバイアスがかかってることが多くて、それでいいねってなるわけじゃん。メディアや口コミとかでいろんな前情報が入ってきて、そのものの価値が決まっちゃうっていうか。だけど食べ物って、もうちょっとダイレクトじゃない?だから、その「美味しい」とか「ありがとう」って、その人自身の本音って感じがして、すごく響くなぁって。」
“東京”と“牛窓”両方で異なる生活を送ってきた平川さんは、今どんなことを感じてますか?
平川「ここ最近ずっと思ってるんだけど、この辺りっていわゆる限界集落一歩手前みたいな場所なわけよ。どんどん高齢化が進んで、この間まであそこを散歩していたおじいちゃんが今日もういないみたいなことが普通によくあって。学校に通う子どもはどんどん減ってるし、JAの直売所も無くなって、遂には銀行まで無くなったからね。すごいスピードで限界集落になっている中で、なんか自分と友達とかが住んでるこの街がもうちょっと面白くなったらいいなって思うし、興味を持ってきてくれる若い人とかが増えてきたらいいのにみたいなのは思ってる。
よく言う地域社会的な話になっちゃうんだけど、それを文章で見ただけじゃなくて肌感としてリアルに感じちゃってる。東京に人口流出しちゃってるってのももちろんあるけど、それ以前に日本全体の人口が減ってるじゃん。そう言うターンに入っちゃってるというか。近所のおじいちゃんが話してたんだけど、昔この辺りは白菜栽培が盛んだったみたいなんだけど、それで“白菜御殿”が建ったって。バブル全盛期や人口が増えてるターンの時は作れば作るだけ売れるし、市場的にも必要だったから、農薬とか化成肥料を使ってバンバン作ってガンガン売ってみたいな状況だったみたいなんだけど、今そのやり方でやっちゃうとそんなに買う人がいないから単価が下がって値段を叩かれちゃう。そうなるとダンボール代や送料とか入れちゃうと、作れば作るだけマイナスみたいな変なことがおきる。食糧って人口100人の国に1000人分の食糧っていらないじゃん。
服だったら別に毎日違うものを着れるからたくさんあっても良いのかもしれないけど、“食”ってどう考えても必要な量って人口にぴたっと比例する。欧米のオーガニック農家で広がっている運営アイディアで、〝コミュニティ支援型農業〟ていうのがあって。日本でもかなり主流になりつつあるんだけど。消費者は年会費で1年分の野菜を生産者から前払いで購入することで 高品質なオーガニック野菜を比較的安価で購入できて、 生産者は経済的な不安やリスクが少ない状態で農業に集中できて、採れた野菜を年間スケジュールに沿って消費者に届けるっていうもので、生産者は消費者の豊かな食を支えて、消費者は生産者の暮らしを支える。
生産者と消費者の直接的な信頼関係で成り立つような農業の形に可能性を感じてるし、僕もこの運営形態に切り替えてる。そういう意味で、農薬や化成肥料を使うこと自体も疑問だし、生産者と消費者の関係性も変化というか進化する時期なんじゃないかなって思う。」
「最近、“オーガニック角打ち”っていうのを牛窓の友達と2ヶ月に1回くらいでやってて、畑でとれたうまい野菜とお酒と心地よい空間を楽しむ、って趣旨なんだけど。“牛窓の人達がなんか面白いことやってる”って言って岡山市内から多様なレイヤーの人種が興味持って来てくれるようになったんだけど、そういうことが僕らみたいな人種ができることだと思うし、そうやって牛窓に興味を持ってくれるが増えたら良いなと思ってる。外から人が来ないと、もうこれ以上、自力で人は増えないからね。(笑) Z世代とかミレニアル世代に変にアジャストし、迎合していくようなことじゃなくて、自分達が面白い、楽しいと思えることをどんどんやった方がいいと思っていて、若い子の中に“あのおっちゃん、おばちゃん達なんか面白いことしてんな”って興味を持つ人が、ちょっとずつでも増えてくることがまずは希望で、自分たちも面白い先輩達を見てきたし、そこに少なからず影響されてきたし、結局そう言う循環を成立させることしかできないと思うんだよね。」
かつて東京の“中目黒”で洋服デザイナーをしていた平川さんは、瀬戸内海を一望できる小さな田舎町“牛窓”に拠点を移し、農家をはじめた。場所や仕事が変わっても、日常に流されずにいつも自分の考えをもって、未来をみて生きるを楽しむ姿、その背中を次世代にみせていくことで文化の循環やコミュニティ化を実践していく感じは、変わらずあの頃のままだった。日々、東京での生活に追われがちな自分ですが、牛窓町で畑の話、作物の話を通して、地方社会だけでなく、これからの社会全体の在り方や進むべき方向に対して、たくさんのヒントをもらえたし、勇気さえもらったような気がした。
ORGANIC FARM 風の谷
HP kazenotani-farm.stores.jp/
IG www.instagram.com/backalley20
写真・取材記事 : SHOGO
モデル業の傍ら、自身でも農地を借り、時間が許す限り、 作物を育て、収穫し、食す。農家見習い兼モデル。
IG https://www.instagram.com/shogo_velbed/